6月13日は”鉄人の日”!
鉄人とは2018年に亡くなった元プロ野球選手の衣笠祥雄氏のことですね😀
そして、この記念日は、衣笠選手が1987年(昭和62年)6月13日に2131試合連続出場の世界新記録を打ち立てたことに起因しています。
連続記録は1987年のシーズン最終試合まで続き、その数字は2215試合まで伸びました。
(2020年現在、世界2位・日本1位の記録)
その後、衣笠選手はそのまま引退となり、17年続いた記録にも終止符が打たれることとなったわけです。
連続試合出場1000試合以上はわずかに8人
プロ野球の歴史は80年以上もありますが、この連続試合出場を1000試合以上まで伸ばした選手はわずかに8人です。(下記参照)
この記録を作っていくのがいかに大変かというのがよくわかりますね。
やはり、試合に出場し続けるには怪我をしない、あるいは怪我をしたとしても試合に出続けられるような強い身体や精神力がなければなりません。
また、どんなに体が丈夫であっても自分自身が試合で活躍できなければ、試合メンバーから外されてしまいます。
衣笠選手もかつて打撃不振や死球による肩甲骨骨折など記録ストップの危機がありました。
それでもどうにかピンチを乗り越え、2215試合という偉大な記録を作ったわけです。
ちなみに記録が止まった時の理由は選手ごとに様々ですが、「引退」が理由となっているのは、なんと衣笠選手のみです!
多くの場合、試合に出られないほどの大きな怪我をしたケース(飯田選手、広澤選手、ラミレス選手)、メジャーに挑戦して記録が終わったケース(松井選手どちらも)、そして打撃不振による記録ストップというケース(鳥谷選手、石嶺選手)です。
というわけで結果的にかもしれませんが、自らの決断で記録を終わらせた衣笠選手は勇気ある判断をしたように思います。
チーム及び衣笠選手の成績はどうだったのか?
変な話、チーム自体が弱ければ、選手の層も薄いでしょうから個人の成績が多少振るわなかったとしても試合に出続ける可能性はあると考えられます。
では衣笠選手が連続試合出場の記録を作った期間(1970年〜1987年)、カープの成績と衣笠選手個人の成績はどうだったでしょうか?
まず注目したいのは1972年〜1974年の3年間です。
この時期、チームは3年連続最下位という苦しい結果に終わっていました。
また、衣笠選手も1973年のシーズンは打率.207と振るわず、非常に厳しい状況だったと言えます。
しかし、1972年はシーズン147安打を叩き出し、最多安打のタイトルを獲得しています。
また、1974年はシーズン32本塁打を放ち、こちらは結果的に現役最高の記録となりました。
よって1973年だけを見れば、チーム状態や選手層の薄さから試合に出続けることができたのかもしれません。しかし、前後のシーズンで活躍を収めたことは1973年の不振を吹き飛ばすには十分だったように思えます。
また、チームが苦しい中において、衣笠選手の活躍はファンにとって一筋の光だったかもしれないですね☺️
次に注目したいのは1975年〜1984年の10年間です。
チームは1975年に初のリーグ制覇、1979年には悲願の日本一となり、翌年の1980年も2年連続の日本一となっています。また、1984年には3度目の日本一に輝いており、この時期はまさに黄金時代だったと言えるでしょう。
衣笠選手も1984年には自身初の打点王に輝き、リーグ優勝・日本一に大きく貢献しました。
ただ、こういう中において、最もピンチだったのは間違いなく1979年でしょう。
8月1日の試合で死球を受けた際、左の肩甲骨を骨折してしまうのです。
誰もが連続試合出場記録が途絶えると思ったことでしょう。
しかし、衣笠選手は翌日も代打ながら試合に登場し、この記録も継続することとなったのです。
もしこの日、出場していなかったら記録は1122試合でストップでした。
(まあそれでも十分すごい数字ですが…)
そしてこの記事を書くことも無かったでしょうね(笑)
記録というのは時に紙一重なのかもしれません。
最後に注目したいのは1986年〜1987年の2年間です。
この時期になってくると年齢的に選手としての衰えは隠せなくなっていたでしょう。
特に1986年はチームが2年ぶり5度目のリーグ優勝を果たした中、自身のシーズン打率は.205と厳しいものでした。ファンからも「記録作りのための出場」と揶揄されることもあったようです。
それでも翌年は序盤から盛り返し、6月13日、ついに世界記録となる2131試合連続出場を果たしたのです。
ちなみにシーズン最終試合及び引退試合でもホームランを放ち、自らの花道を飾りました。
苦しみながらもプロとしての意地を十分見せたと思いますよね!
そんな偉大な記録を作った衣笠選手。
それを超える選手は近い将来出てくるのでしょうか?
現役最多の連続試合出場記録を持つのは?
現役最多の連続試合出場記録を持つのは秋山翔吾選手で825試合となっています。(2019年終了時点)
ところが、秋山選手は2020年よりメジャーに移籍しました。
そうです、かつて松井秀喜選手、松井稼頭央選手がメジャー挑戦で記録ストップしたのと同様、秋山選手も記録がストップしてしまうのです…
これは残念ですけど仕方のないことですよね。
でもメジャー挑戦の選手は年々増えてきてますから、将来的には日米通算での記録も認められるのではないでしょうか?
何はともあれ、メジャーでの活躍を期待しましょう😌
では、秋山選手の次に記録を持っているのは誰かと言うと、ソフトバンクホークスの松田宣浩選手です。2019年のシーズン終了時点で745試合となっています。
大台の1000試合までは255試合あり、まだちょっと大変な数字かもしれませんね。
実際、2020年シーズンはご存知の通り、新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れ、試合数は年間120試合となっています。そのため、順当に記録を伸ばしてもシーズン終了時点で865試合です。
ただ、来シーズンが例年通りの143試合であれば、シーズン終盤に1000試合に到達する計算になります。
そう考えるとなんだか行けそうな気がしてワクワクしますね✨
そんな松田選手は2019年シーズンに通算1500安打と250号本塁打を達成し、試合出場も通算で1500試合に到達しました。
また、350二塁打と1000打点の記録も近づいてきています。試合数が少ない2020年シーズンの達成は厳しいかもしれませんが、2021年には十分到達できる数字です。
それに加え、連続試合出場の記録が1000に到達したらホークスファンにとっては嬉しいでしょうね😁
どうか怪我やスランプなく達成してほしいと思います💡
2020年のプロ野球開幕は6月19日(金)となりました。
今年はどんなドラマが待っているでしょうか?
今から楽しみですね😄
そんなわけで、今日は“連続試合出場”について掘り下げてみたいと思います!